2015年 06月 21日
京都黒谷の会津藩墓地に眠るご先祖様を弔う
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「八重の桜」の放映のあった一昨年、京都黒谷の金戒光明寺にある会津藩墓地にお参りしました。 会津藩墓地には母方のご先祖も眠っているのですが、この時はどのお墓かわからなかったので、6月17日にあらためてお参りしました。
三重塔を目指して石段を登っていくと、途中にしっかりとした案内がでています。 要所要所にありますので、迷うことなく、たどり着くことができます。
奥まったところにある会津藩墓地。 静寂が包んでいます。
今回はネットで調べておきましたので、速やかにわかりました。 右手の一角にありました。
「牧原宗仲之墓」と読めます。 今は新幹線や飛行機であっという間ですが、当時は外国にいるような感じだったのでしょうか。
墓石の裏には「仲彦神霊」と刻まれています。 150年という、時の重みを感じさせられます。
14日には、京都会津会による第110回法要が執り行われました。 会津弔霊義会が財団法人として認可されたのも、98年前です。 やっと許された状況になった頃なのでしょうか。
侠客会津小鉄の墓(右)。 戦死者の遺体を葬ってくれました。 上野の彰義隊の戦死者を葬ったのも、侠客でしたね。
徳川秀忠公の菩提を弔うために建てられた三重塔。 会津藩初代藩主の保科正之公は秀忠公の御落胤ですから、これも当寺との因縁のあったことなのでしょうか。
こちらは秀忠公正室「お江」の君の追善菩提のため、春日局が建立したもの。 正室に見つかれば保科正之公の命もなかったとも言われており、すれば会津藩の運命もまた違ったものになっていたのでしょうか。
京都の町も一望できます。
家康公、秀忠公に庇護された知恩院の三門も望めます。 黒谷の会津藩本陣というのも、なかなかよく考えられた地のようです。
[A記]
京都黒谷の会津藩墓地へお参り
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三重塔を目指して石段を登っていくと、途中にしっかりとした案内がでています。 要所要所にありますので、迷うことなく、たどり着くことができます。
奥まったところにある会津藩墓地。 静寂が包んでいます。
今回はネットで調べておきましたので、速やかにわかりました。 右手の一角にありました。
「牧原宗仲之墓」と読めます。 今は新幹線や飛行機であっという間ですが、当時は外国にいるような感じだったのでしょうか。
墓石の裏には「仲彦神霊」と刻まれています。 150年という、時の重みを感じさせられます。
14日には、京都会津会による第110回法要が執り行われました。 会津弔霊義会が財団法人として認可されたのも、98年前です。 やっと許された状況になった頃なのでしょうか。
侠客会津小鉄の墓(右)。 戦死者の遺体を葬ってくれました。 上野の彰義隊の戦死者を葬ったのも、侠客でしたね。
徳川秀忠公の菩提を弔うために建てられた三重塔。 会津藩初代藩主の保科正之公は秀忠公の御落胤ですから、これも当寺との因縁のあったことなのでしょうか。
こちらは秀忠公正室「お江」の君の追善菩提のため、春日局が建立したもの。 正室に見つかれば保科正之公の命もなかったとも言われており、すれば会津藩の運命もまた違ったものになっていたのでしょうか。
京都の町も一望できます。
家康公、秀忠公に庇護された知恩院の三門も望めます。 黒谷の会津藩本陣というのも、なかなかよく考えられた地のようです。
[A記]
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by aizu-shirokiya
| 2015-06-21 18:30
| 歴史
|
Comments(2)
Commented
at 2015-06-22 06:16
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
aizu-shirokiya at 2015-06-22 12:09
「虚無僧日記」には、そこまで書いてありますか。
個人情報なので、そのあたりはほどほどにしておいたのですが。
個人情報なので、そのあたりはほどほどにしておいたのですが。
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