戊辰役東軍慰霊碑建立の場所は新潟県護国神社の戊辰霊苑が相応しいと考えられましたが、東軍戦死者は賊軍とされています。 招魂社の流れをくむ新潟県護国神社が受け入れてくれるかが問題でした。 因みに、靖国神社(旧招魂社)には、会津藩士の戊辰役戦死者は祭られていません。
神社の禰宜に相談したところ、「東軍の遺骨は既に当神社に眠っている」との意外な回答がありました。 慰霊碑の斜め後ろ、薩摩藩士墓の真後ろに小さな石碑が建っています。
そしてこの「慰霊碑」と刻まれた小さな碑の下に、東軍戦死者92名が眠っていることが判明しました。
昭和60年1月、新潟大学医学部の同窓会館の建設時に46名の人骨が発掘されました。 その遺骨のほとんどが首を切られていたといいます。 そうした状況や遺品から東軍の遺骨とみられています。 新潟大学ではその祭祀を護国神社に要請、神社側もその遺骨を戊辰霊苑に埋葬することを了承し、同年5月、本碑が建立されました。
さらに60年7月、同会館北側駐車場の工事で同様の46人の遺骨が発掘されました。 同年9月、本碑が建立され合葬されました。 ここに東軍戦死者92名が眠ることとなりました。 同会館の敷地は新潟大学本部跡地で、元々は新潟招魂社(明治元年10月建設)がありました。 92名の遺骨の上に西軍416柱の墓と招魂社を建立、昭和20年、その墓碑も新潟県護国神社に移されました。 忘れられた東軍の戦死者は、その後も同地に静かに眠っていました。
ここが有壬記念館、新潟大学医学部の同窓会館です。 この建物と北側駐車場の敷地に、それぞれ46名、 計92名の首を切られた東軍戦死者が眠っていました。
ところで、
友壬記念館 のグリル友壬はホテルオークラ新潟が運営しています。 リーズナブルで美味しいランチでした。 こちらで汗をぬぐいながら、150年前の戊辰の役に思いをはせました。
参考資料
新潟戊辰の会・青柳英世「戊辰役東軍慰霊碑建立の経緯」(郷土新潟第30号、平成10年3月、新潟郷土研究会)
宮崎十三八「会津の史的な風景」(歴史春秋出版)
[A記]
新潟県護国神社戊辰の役東軍慰霊碑 新潟県護国神社東軍墓地を訪ねる ~会津四交会の旅