2012年 08月 05日
いわき ら・ら・ミューもしっかり復興していました。
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東日本大地震の津波で大被害のでた、いわき市。 復興も少しずつ進み出していました。
津波をまともに受けて壊滅状態になった小名浜の「いわき ら・ら・ミュー」。 しっかりと営業が再開されていました。
魚介類も所狭しと並んでいます。 小女子と真あじの干物を買い求めました。 お客さんは戻ったかどうか聞いたら、震災前は毎日5000人からのお客さんだったのが、今は1000人にも満たないとか。 一番ありがたい復興支援はお買物をしていただくこと。 よろしくお願いします。
震災直後の4月19日。 ら・ら・ミュー前の交差点の様子です。 海水が見えないだけで、津波の爪跡がくっきりと。
8月3日の同じ交差点。 痛々しさは残っていますが、復興の掛け声も聞こえてきそうです。
同じく津波と液状化の影響で使用不能になったら・ら・ミュー前の埠頭。
壊れかかった建物は解体されて、漁船からは、活気が感じられます。
こちらは、昨年4月の勿来の岩間地区。 ここも津波で壊滅的な被害を受けました。 地震で痛んだ防波堤に津波が直撃。 このことがさらに被害を大きくしました。
土嚢による仮防波堤も置かれ、被害にあった工場や家は解体されています。 前方に見えるのは、常磐共同火力発電所です。 この発電所も津波被害を受けましたが、必死の復旧工事で再稼動しています。 もちろん、ここの電気は主に東京に送られています。
この岩間地区の家々は、壊滅的な被害がでています。 大震災直後の、昨年4月の状況です。
ほとんどの建物は解体されていますが、なかなか住みづらいことでしょう。 雑草が伸び放題になって荒れてしまっていました。
地震と津波で浜沿いの墓地も、めちゃめちゃになってしまいました。
でも墓地は真っ先に復興していました。 地元の方の、復興にかける心意気が伝わってきます。
その脇は、ガレキの山。 復興も大変です。 街中は、新築中の家も目だってきています。 ただ大工さんも手一杯で、順番待ちとのことです。 間違いなく一歩一歩復興の道をたどりだしたことを感じさせられた、いわきの町でした。
[A記]
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津波をまともに受けて壊滅状態になった小名浜の「いわき ら・ら・ミュー」。 しっかりと営業が再開されていました。
魚介類も所狭しと並んでいます。 小女子と真あじの干物を買い求めました。 お客さんは戻ったかどうか聞いたら、震災前は毎日5000人からのお客さんだったのが、今は1000人にも満たないとか。 一番ありがたい復興支援はお買物をしていただくこと。 よろしくお願いします。
震災直後の4月19日。 ら・ら・ミュー前の交差点の様子です。 海水が見えないだけで、津波の爪跡がくっきりと。
8月3日の同じ交差点。 痛々しさは残っていますが、復興の掛け声も聞こえてきそうです。
同じく津波と液状化の影響で使用不能になったら・ら・ミュー前の埠頭。
壊れかかった建物は解体されて、漁船からは、活気が感じられます。
こちらは、昨年4月の勿来の岩間地区。 ここも津波で壊滅的な被害を受けました。 地震で痛んだ防波堤に津波が直撃。 このことがさらに被害を大きくしました。
土嚢による仮防波堤も置かれ、被害にあった工場や家は解体されています。 前方に見えるのは、常磐共同火力発電所です。 この発電所も津波被害を受けましたが、必死の復旧工事で再稼動しています。 もちろん、ここの電気は主に東京に送られています。
この岩間地区の家々は、壊滅的な被害がでています。 大震災直後の、昨年4月の状況です。
ほとんどの建物は解体されていますが、なかなか住みづらいことでしょう。 雑草が伸び放題になって荒れてしまっていました。
地震と津波で浜沿いの墓地も、めちゃめちゃになってしまいました。
でも墓地は真っ先に復興していました。 地元の方の、復興にかける心意気が伝わってきます。
その脇は、ガレキの山。 復興も大変です。 街中は、新築中の家も目だってきています。 ただ大工さんも手一杯で、順番待ちとのことです。 間違いなく一歩一歩復興の道をたどりだしたことを感じさせられた、いわきの町でした。
[A記]
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by aizu-shirokiya
| 2012-08-05 12:36
| 季節
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Comments(2)