2013年 11月 25日
会津の中世を彷徨う
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新宮熊野神社「長床」を眺めていたら、会津の中世に引きずりこまれました。 会津は、なぜか戊辰の役ばかりが注目されています。
正面は熊野神社新宮。 右が本宮、左が那智宮。 ここに3宮が集められたのは、いつの時かは判然としません。
新宮から北へ5kmほど行ったところにあるのが、元々の熊野神社本宮のようです。
鳥居からは、正面に大仏山(708.2m)が眺められます。 天気がよければ、今日登ってみようかと思っていた山が、正面に見えます。
なかなか立派な参道です。
熊野神社本宮。 鳥居の右手にも、広い空き地が残っています。 ただただ、静寂が支配。
神社の真裏には、なんの説明もない五輪塔。 少し調べてみる必要がありそうです。
この本宮からさらに東に3km行ったところが、熊野神社那智宮。 木々の陰になっていますが、集落より少し高台にあります。 そしてここの字名は、「長床」。
ここから右手に入って行きますが、雨のあとで道がぐしゃぐしゃ。 スタックしてしまいそうなので、途中で断念しました。 歩こうかとも思ったのですが、「熊出没、入山禁止!」と看板がでているので、来春までお預けすることとしました。 ただ途中には、字名の「長床」のとおり、長床があってもよさそうな広さの畑地がありました。
本宮から北に4kmほど行ったところにあるのが、佐原十郎義連の墓(といわれている)。
佐原十郎義連は、伊達政宗に滅ぼされた葦名家の始祖です。
会津松平家藩祖の保科正之公が顕彰し、第2代藩主松平正容公による碑文が残っています。 アルミ扉がついていますが、ちゃんと開けられるようになっていました。
滅多に通ることのない磐越西線の新潟行列車。 珍しく、踏み切り待ちです。
会津盆地から眺めた西側の丘陵です。 正面の山は、雷神山(300.3m)。 ここに別荘を作ったら、きっと眺めがいいことでしょう。
昔の人が考えるのも同じようです。 陣ガ峯城跡として、なんと国史跡指定です。 長床から、南西に3kmの地点になります。
摂関家近衛家の荘園「蜷河荘(いながわのしょう)」でした。 なんと由緒正しいことか。
城館跡は、しっかり畑地になっています。 木は切り倒されているし、畑地には最適なのでしょう。
雑木の間からは、会津盆地が望めます。 我々が別荘にいい場所だと思ったのは、当然のことのようです。
内堀、外堀の遺構も、しっかりと残っています。 なんとなく、会津の中世を彷徨ってしまった1日でした。
今日、彷徨った地点を空中写真でご案内しておきます。
「A記]
晩秋の長床
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by aizu-shirokiya
| 2013-11-25 22:02
| 歴史
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Comments(2)